1988年、東京都心のある路上の物語

 ふと気が付けば、「10代の煌き」は、もはや追憶の中にしか存在しないような、遥か遠くのものとなって久しい。
 2021年、令和3年の世の中は、相変わらず世界の価値観がひっくり返ったままだが、徐々に人々の暮らしは日常を取り戻しつつあるようにも感じる。
 別にたいそうな話をしたいわけではない。
 かといって、SNSでつぶやくような内容でもない。
 本来なら、10代後半から20代の若い世代と接する機会などほとんどない中年の自分が、日々、若い彼らの悩みや焦燥感と向き合いながら、的確なアドバイスを投げかけるという、以前はまるで想像もつかなかった不思議な関係性を続けるようになって、もう何年にもなる。
 おかげで、忘れていた過去を思い出すことが増えた。
 いちいち細かいことを説明していくのは非常に面倒なものだが、何故、自分がそう考えるのか、何故、そうするのが望ましいのかを相手に説明するのに、これが頭で考えたものではなく、かつて存在した事件事象と照らし合わせて、答えをいくつか提示する方が、圧倒的に相手にとって説得力があることを思い知った。
 あらゆる経験が、金では買えないとても貴重なもの。
 まさかこんなに重宝されるとは思っていなかったが、誰かの役に立つのなら、それもまたいいだろう。

 たとえ同年代であっても、その差は大きい。
 要は、経験した者とそうでない者の差は、如何ともしがたいものなのだ。
 「若い時の苦労は買ってでもせよ」、というのはあながち間違っていないかもしれないが、もはや経験よりも情報が優位性を持つ時代となっている。
 しかし、危機的な状況を直接対峙することによってしか身につくことのない己の度胸や、強さ、相手の思考や空気感、緊張感、その場を支配している物の正体などを見破る能力など、修羅場を潜り抜けて来たものでないと分からないものが存在することも確か。
 別段命の駆け引きをしているわけではないので、大仰にいうことでもないが、それでも要所要所で大事なことを言ったり、行動することは生きる上で必要だと思う。
 大事な選択を迫られたとき、冷徹に分析して最善の決断を下すことが出来なければ、自身の品格を上げることなど到底出来ないのだ。

 生き方ブログをやるつもりもなく、ただ過去の事象に対する備忘録として、ここで書いていこうと思う。
 あの頃の自分が今の自分を見たら、どう思うだろうか?
 思い描いていた大人にはなれたのだろうか?

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