1987年夏、高校一年生にとっては大きな問題があった
現実に立ちはだかるハードルの存在を強く意識したのは、多分16歳頃だったと思う。
受験や成績という類のものではなく、欲しいものを手に入れるために必要な金を稼ぎ出すための労働時間がそれだった。
冷静に考えればわかるはずだ。
高校一年生、16歳。
やっとアルバイトが公に可能となる最低年齢。
18歳未満のアルバイトは少なく、また驚くほど低い時給。
毎月楽しみにしていたバイク雑誌を飾る、数多の新車の価格には非現実的な金額が提示されている。
高校生のアルバイトごときで、新車など買えるはずがないのだ。
そもそも、中型自動二輪免許を取得する教習所代ですら10万円近い。(調べてみたら現在では17万円以上もするではないか!)
その年の夏休み前の試験休みから、隣町の環状線沿いにあったダンボール工場でのアルバイトを始めた。
一日中働いて、夏休みの殆どを費やしたにもかかわらず、手に入ったアルバイト代は総額で14万円にも満たなかった。
絶望以外の何物でもない。
教習所代とヘルメットとグローブ代で高一の夏のアルバイト代は消えた。
冬の終わり頃になってから、毎日のように自転車で30分ほど掛けて豊島園の先にあった教習所へ通った。(免許を取得する件でも家庭内でひと悶着あったのだが、これをクリアするのに半年ほど掛かった)
教習車はヤマハのFZ400Kという真っ赤な400ccで、大柄な車体とブレーキの効き方の良く解らない、乗りづらいオートバイだった。
教習所の練習コースで2度ほど派手に転んだ。
急制動で急ブレーキをかけた際、フロントブレーキをロックさせて即転倒した。
あとはスラロームで車体を倒し過ぎて転んだ。
自転車なら上手くやれることが、オートバイではできない。
悔しかったが、出来ないものは出来ない。
それでも何とか教習を終え、春休み中には卒業試験に合格した。
学校を休むわけにはいかなかったから、中型自動二輪免許を取得するのにはそれから少し時間が掛かった。
免許は夏前の試験休みに合わせて江東にあった運転免許センターで、学科試験を受けてやっと手に入れた。
それでもオートバイを買うことなんて、まだ先の話になりそうだった。
少ない時間をやりくりして、少しづつアルバイトで小銭を稼ぐ日々。
中学時代の同級生や、高校の同級生たちが、次々と新型のNSRや、VFR、FZRやTZRの新車を手に入れて(両親に買ってもらって)いくのを、ただ羨ましく眺めていた。
何度か古い中古車、しかも廃車寸前のボロバイクを買おうとしたことがある。
VT250F2(当時のバイク便でよく使われていた)が込々10万円と聞いて飛びつきそうになったが、現物のあまりのボロさに萎えてやめた。
ローンを組めば何とかなるとバイク屋の若い兄ちゃんに説得されたが、親は絶対に首を縦に振らなかった。
そもそもバイクに乗ること自体に猛反対していたのだから、ローンの契約書にサインするはずがない。
この頃から、色々なバイクに乗せてもらえるようになったが、自分のオートバイはいつ手に入り、何に乗ることになるかも全く目途が立たないまま時が過ぎていった。
ある日、出入りしていたバイク屋に、古い型のオートバイが一台入庫してきた。
CBX400F。
本当は、ツアラー的なカウリングがついていたインテグラというモデルのカウリングをとっぱらい、オリジナルと同じ丸目ライト仕様に戻したものだった。
なんでも、予約をしていた客が一向に現れないので、予約を解除して売りに出すということだった。
運命的なものを感じて、「買いたい」と手を挙げた。
新車といえども5年以上前の型落ちだったし、インテグラをF仕様にした非オリジナルなので、38万円と破格値だった。
その頃、金銭面で何とかなりそうなツテがあった。
このツテへの淡い期待は、結局ロクでもない結果をもたらし、以降このツテの人物に対しても完全に距離を置くようになった原因となった。
自分の稼いだ金以外に期待してはならない。
ましてや他人の金などアテにするな。
16歳の自分が思い知った出来事だった。
アテにしていた金が手に入らず、そうこうしているうちに手付金も払えないため、件のCBX400Fは別の誰かが購入することになった。
そう、最初のオートバイはCBX400Fになるはずだったのだが、上手くいかない。
それきり、CBX400Fに跨ることもなくなった。
高校2年の夏休みが終わり、紆余曲折あってCBR250R(MC19)の新車をローンで手に入れることに。
バイクを手に入れるのに優に丸一年以上掛かっていた。
このブログのタイトルが【1988年のノスタルジア】である理由は、こういうことなのだ。
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| 恐ろしいことに写真が一枚も残っていない なので、ネットからの同型機の拾い物画像 |

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