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T字シェーバー その2

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 フェザー安全剃刀の『特撰両刃オールステンレスレザー』を入手し、ダブルエッジの最高級品を使ったクラッシックシェービングを楽しんでいるのだが、毎回夜の入浴時に、じっくり髭を剃っていられるわけでもないので、朝、時間がない中で手早く髭を剃る際には、使い慣れたカートリッジ式T字シェーバーも活用している。 ↑買って後悔しないだけの銘品 「最新鋭の『ジレット・ラボ』が驚くほど良かった」とは、実弟の体験談だが、自分にとって現行の5枚刃はカートリッジのヘッド部分が大きすぎる。  鼻の下などはカートリッジ上部のピンポイントトリマーなどで対応するしかないとわかったが、そこはただのの一枚刃でしかないので2枚刃のものと比べると明らかに見劣りする。  そして、ダブルエッジのカミソリを使うようになったことで、これまで以上にカートリッジ式T字シェーバーを正しく使うことが出来るようになったのには驚いた。  今まで「剃れない」とされてきた『古い二枚刃のカートリッジ式T字シェーバー』が、俄然魅力を増すこととなる。  そもそも、T字シェーバーは、①『ダブルエッジのホルダー』から②『ローダー交換式固定刃のインジェクタータイプ』を経て、③『二枚刃のカートリッジ交換式シェーバー』へと進化していったのだから、髭を剃る性能は決して低いわけではない。  要はカートリッジ交換式シェーバー全盛期の2,000年代頃に安全対策を講じすぎたせい(シックのプロテクターや、ジレットのスキンガード等)で、使い手側の技量が低くても、安易に髭を剃れるようになったことの弊害として、殆どの人がダブルエッジ(両刃カミソリ)を上手く使えなくなってしまったのではないかと推察している。  現行製品での二枚刃は、もう使い捨て品くらいしか残っていないかもと思いきや、シック『ウルトラプラスX』、『スーパーⅡプラスX』、フェザー『FⅡ neo』は未だ健在。  1980年代末頃までホルダーの爪は共通規格だったこともあり、実は他社製品のカートリッジも付けて使うことができる。(最初の首振り型であるジレットアクタスのホルダー形状が、後続の対抗製品であるシックウルトラ、フェザーFⅡ等にも採用されたため)  すでに廃番となった製品、ジレットGⅡ、アクタス、センサーエクセルのうち、センサーエクセルのホルダーからは共通性がないが、GⅡは元祖スライド式で、シック社の二枚刃...

T字シェーバー

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何年に一度、突然やってくる毎日の髭剃りに用いる道具の再考。 キッカケは、それまで毎日使ってきた電動シェーバーが突然壊れたことだった。 最初に使った髭剃り用のシェーバーは何だったか? 思い出してみると、私鉄の駅から続く学校までの通学路、学校の近くの路上でシック社が配布していた、主力商品「Ultra」の贈呈用カラーバージョンだったはず。 1987年のことだ。 ↑この色ですね(画像は拾い物) シック「Ultra」は、同社のシェービングフォーム(シック シェーブガード)を使ってウェットシェービングすると、出血することなくキレイに剃れた。 付属していた替刃を使い切った後も、薬局で替刃を購入して長く使ったと思うが、他のシェーバーも使ってみたくなり、色々とメーカーの垣根を越えて手を出し始めたように思う。 1990年代はシック社の曲がる2枚刃のFX、ジレット社のセンサーエクセル、マッハスリー、2000年代はジレット社のM3POWER、フェザー安全剃刀社のMR3等。 ちなみに1998年まで3枚刃のT字シェーバーが存在していない。 T字シェーバーが4枚刃以上になってくるのは2000年代に入ってからだったが、1990年代までの電動シェーバーはコンセントからつなぐ交流式が主流であり、電池式やバッテリータイプはまだまだ非力なものが多かったと思う。 2000年代に入ると、市場的にも電動シェーバーが主流になり始めたと記憶している。 ブラウンやフィリップスの電動シェーバーの性能は飛躍的に上がり、T字シェーバー並みに髭が剃れるようになってきた。 最初に手に入れた電動シェーバーは、フィリップスのウィリアムズモデルで、これは驚くべきことに10年近くも使うことができた。 交流でもバッテリーでも使える優れ物で、それからT字シェーバーは滅多なことでは使わなくなっていた。 途中、この電動シェーバーが壊れるタイミングで、一時的にT字シェーバーにも手を出すのだが、4枚刃や5枚刃は、流石にコストがかかりすぎるので購入を見送り、昔ながらの2枚刃や3枚刃のものを使い続けたが、あくまでも電動シェーバーを買うまでの繋ぎとしてだった。 フィリップス社の電動シェーバーは計3台ほど使ったが、年々耐久性が落ちて壊れやすくなり、ついに先日動かなくなってしまってから、電動シェーバーを買うのを諦めてしまった。 そこで、再びT字シェーバーの...

W1S(ダブワンスペシャル)

 これまで自分が乗ってきたオートバイの中で、周囲から「最も似合っている」と言われたのは、カワサキのダブワンスペシャル(W1S)だった。  世代的には自分よりももっと年上の、齢70代前半の方々にとっての憧れのオートバイであり、実際に発売されたのは1966年以降だという。  地元の年の離れたバイク屋のK先輩は、自分より10歳年上で、所謂1970年代後半から1980年代にかけてのオートバイブームを経験しており、オートバイの魅力にどっぷり漬かって20代後半の若さで実家でバイク屋を開業したツワモノだが、長くCBX1000に乗っていたK先輩が強く憧れを抱いていたオートバイは、1970年代のCB750FOURや750RSなどの空冷4気筒モデルなどではなく、それよりももっと前のバーチカルツインのカワサキW1シリーズだった。  縁があって、程度の良いワンオーナー車をK先輩が手に入れたのは、確か1990年代に入ってからだったと記憶している。  1990年代当時、K先輩はバイク屋をやりながらカーコーティングとフィルムを張る仕事も始めたのだが、趣味が高じて1970年代の古い空冷エンジンの名車を買い揃え始める。  2ストトリプルのカワサキのマッハシリーズや、水冷のスズキGT750、GS750やカワサキのZ系、ホンダのCB750Fなどが、当たり前のように店先に並んでいたのだ。  納車や引き取りの際、これらの古いオートバイに当たり前のように乗るのだが、その中にはW1Sもあったがあまり乗ろうとしなかった。  理由は単純で、デコンプのついていない重いキックスタートしかないことと、旧規格のため(BSA等の英国車を模倣していたため)チェンジレバーとブレーキが左右逆になっていて非常に乗り辛かったせいだ。  車格は650㏄にしてはとても立派で、タンクのメタルパーツが特別なスペシャルモデルを主張していてとても格好良かったし、キャブトンマフラーが奏でる『地面をぶっ叩くような』独特の排気音が非常に魅力的で、いつしか自分もW1Sに魅了されていたのかも知れない。  最初からキックでW1Sのエンジンを掛けることが出来たせいで、当時「ダブワンのエンジンを一発で掛けられるヤツ」という妙な渾名で呼ばれることとなり、それ以降はことある毎にW1Sを貸し付けられるようになっていた。  丁度所有していたカワサキの750RSが...

ハーレーダビッドソン 1996 FXDL

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 別段、ハーレーダビッドソンに憧れがあったわけではなかった。  ジョン&パンチも、ハイウェイパトロールも、ヘルズエンジェルズも、イージーラーダーも別にどうってことはなかった。  どちらかと言えばマッドストーン的な、カワサキのZ系の大排気量モデルに代表されるような感じの方が圧倒的に好みだったと思う。  ゼッツーは不動車になったまま埒が明かないので、高値で売れるうちにと中古市場で売ってしまうことにし、壊れても部品がいかようにでもなると言われたハーレーダビッドソンを手に入れることにした。  とはいえ、手に入れるにしても国産車とはずいぶん勝手が違っていた。  何せ年で国内に流通するモデルの数には限りがあり、その年のイヤーモデルはほぼ完売となっていて、翌年のモデル待ちがザラだったし、そもそも取り扱うバイク屋も正規取扱店のみでとても少なかったのだ。  当時、御徒町にあった小川モータースを尋ねてみたところやはり在庫はなく、「笹塚にある福田モータースに唯一ダイナローライダーが1台だけ残っている」と聞いて、そのまま笹塚へと向かった。  考えてみれば、福田モータース(以降は『笹塚』と記す)はモトグッチの代理店としては有名だったが、細々とハーレーダビッドソンも取り扱っていたようで、少ない割り振りの車体が運よく売れ残っていたらしい。  自分でも驚くほどあっさりと契約して、晴れてハーレーダビッドソンのオーナーとなった。  FXDL ダイナローライダー  ダブルクレードルフレームにラバーマウントされた88キュービッグインチ(1340cc)のOHVビッグツインを搭載した、新世代のハーレーダビッドソンだった。  純正のハンドルだけはいただけなかったので、883のハンドルに付け替えたが、律儀に買った場所であった『笹塚』に整備させたのが大きな間違いの始まりだった。  運が悪いとしか言いようがないのだが、『笹塚』の整備能力のなさと言ったら本当に酷いものだった。  何度メンテナンスに出しても、いつまでも調子が良くならない。  それどころかメーカーからリコールが掛かり、『笹塚』に整備に持ち込むたびに、調子がどんどん悪くなる。  流石に辟易して地元のバイク屋の先輩に無理を言って見てもらうと、キャブレターのジェットが間違って組付けられていたことが判明した。 「『笹塚』はありえないくらい整備のできないダメなバイク...

腕時計

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 子供の頃から、少し拘りが強すぎるきらいがあった。  中学2年か3年の頃、何かの祝いとして父に買ってもらったのは、当時の西ドイツ製のSINNの機械式クロノグラフだった。  丁度日本に初めてSINNのクロノグラフが紹介された頃だったと思う。  中学生が身に着けるものとしては甚だ分不相応な高価な腕時計だったが、何故かこの腕時計を買ってくれた。  この時計はそれ以来、相当長く愛用していたように思う。  思い返せば、青春時代のほぼ全てをこの時計と共に歩んでいたのではないか?と言っても過言ではない。  モデル名は、確か103という手巻きモデル。後に自動巻き仕様となり、曜日機能も日付機能に追加された『103B.AUTO』という名機となるもので、確か1986年に開店したばかりのMONOショップ上野松坂店で購入したものだった。  手放したのは2000年を過ぎた頃。  理由は、まったくと言っていいほど身に着けなくなったからだった。  社会人になったのは1995年の3月からだったが、道路工事の現場に身に着けるような腕時計ではなかった。(というか間違いなく壊れる)  ホワイトカラーになってからも、この分厚い腕時計はワイシャツの裾を簡単に摩耗させたし、非常に重く、また良くぶつけた。  そんな折、厚さの薄いビジネス用の腕時計をいくつか父から譲りうけて、それらを身に着けるようになったせいでどんどん使わなくなっていった。  SINNの103は、スーツを着たビジネスマンが身に着けるような腕時計ではなかった。  その後は、子供の頃から欲しかった腕時計のオールドモデル(SEIKOのジウジアーロデザインのスピードマスターなどは最たる例だろう)を購入して使ったりしていたこともあったが、やはり新品が欲しくなって自分のメインの腕時計となったのは、登場したばかりのSEIKOの新ブランド『ブライツ』のクロノグラフだった。 ↑傾斜されたパネルが斬新だった  ビジネスクロノグラフと言っていいくらい小ぶりで肉薄なビジネスウォッチであり、とても使い勝手が良かった。  そして、もう一つのお気に入りがグランドセイコーだった。  高額な機械式ではなく、グランドセイコーとしても今ではレアとなったクォーツ式で、深いブルーの文字盤が美しく、存在感もあってお気に入りだった。  しかし、2003年で会社員をやめてしまってからは、これらを...

ホンダ BEAT

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 今でも手放したことを心から後悔している。  1991年に初めて手に入れた、発売されたばかりの車。  旧軽660規格、2シーターミッドシップのオープンカー。  BEATは、今も名車として熱狂的なファンに愛されている。  発売当時は何処も彼処もバブル景気にうかれ、良く企画が通ったなと思うような、頭のおかしい製品を次々と市場投入していて、軽自動車も2シーターのスポーツカーや、オープンカーなどが続々と作り出されていた。  そんな中、ホンダのBEATは特別な存在だった。  スズキのカプチーノも人気があったけど、あちらはタルガトップで気軽にオープンにはできなかったし、ターボ搭載でやり過ぎ感があった。  BEATはNAエンジンだったし、なによりも可愛らしいスタイルで愛嬌があった。  この車でどこへでも出かけ、何度も車中泊もして、色々な景色を見た。  とても小さな車で、最高の相棒だった。  青春時代の大半、BEATに乗っている時だけは、オートバイに乗っているときの様にスピードに命を懸けることなどなく、朗らかな気持ちのまま、速度と共に徐々に上がるオーディオのボリュームと、子気味良い操作感に酔いしれていた。  時速140km/hでリミッターが掛かるけれど、法定速度内であっても充分に楽しい車だった。  妻との初デートの時はわざわざオープンにして、桜の花びらの舞う並木道をゆっくり走った。  この前、BEATと走るかつての日々の夢を見た。  妻と結婚し、家族が出来てシビックへと乗り換える際にBEATを下取りに出した時の気持ちは、大事な家族と分れるようなとても悲しい想いがあった。  もう二度と戻らない日々、何もなかったけれど、ただそこに車があるというだけで、例え一人であっても何かがこれから始まるような期待に満ち溢れていた日々は、遠い昔しのことになってしまった。  あの頃たしかに存在していた日々を思い出すたびに、BEATを街で見かけるたびに、胸の奥が熱くなるのは何故だろう?  BEATは自分にとって、大切な思い出と共にあるクルマだった。

500SS MACHⅢ(H1B)マッハスリー

 カワサキの大排気量2ストローク3気筒エンジン。  マッハ(マッパ)と聞けば、全員がひれ伏すというくらい伝説的なオートバイだった。  とはいえ、1980年代後半には、ほぼ見かけることの出来ない幻のオートバイになっていた。  当時の感覚では10年落ちなどほぼ現存していないくらいのもので、5年前のオートバイが旧車という感覚なのだ。(1983年のCBX400Fなんて完全に旧車だった)  毎年のようにニューモデルをリリースしているような、イカレた時代だったのだ。  ただし、そんな時代でもマッハは伝説化していて、稀に見かけることが出来れば羨望の眼差しを向けられるオートバイだった。  実際、パワーバンドに入ったときの加速はキチガイじみていて、初期のエグリタンクの500SSが最も凶暴だと言われていた。  3速までウィリーするだの、次の信号までに止まれるかだの、危ないオートバイというイメージが強かったが、実際に乗ってみると思った通り危なかった。(笑)  正直言えば、「よく発売の許可が下りたな」というくらいの出来の悪さと言ってもいい。  実際、発売当時に何人も死んだため、新たに中型免許制度が出来たというのは本当の話なのだそうだ。  さて、750RSの登場前に、500SSをスケールアップさせた750SSというモデルが1971年に登場するのと同時に、マッハシリーズには350ccをボアダウンさせた250ccが追加され、250cc、350cc、500cc、750ccと、4つの排気量のファミリーが揃った。  レインボーラインと称される、新たなタンクのデザインを採用した1971年のマイナーチェンジモデルの中で、唯一テールカウルを装備しなかったのが、500SSの1971年モデル、所謂H1B。  このモデルに何故か強く心を惹かれ、買うならH1Bと決めていた。  後日、実際に乗った際の衝撃はとても筆舌に尽くしがたいもので、加速は神がかっていて、実際ストリートのシグナルGPでのスタートダッシュでは負ける気がしないほど速かった。  ただ、エグリタンク時代のマッハよりは止まるけれど、お世辞にも初期のディスクブレーキの制動能力は効くとは言えない、相変わらず危険な代物で、改造するならまずブレーキ含めた足回りだなとおぼろげに改造計画を立てていた。  2ストロークトリプルは、他に250SS、350SS、750SS、...