500SS MACHⅢ(H1B)マッハスリー

 カワサキの大排気量2ストローク3気筒エンジン。
 マッハ(マッパ)と聞けば、全員がひれ伏すというくらい伝説的なオートバイだった。
 とはいえ、1980年代後半には、ほぼ見かけることの出来ない幻のオートバイになっていた。
 当時の感覚では10年落ちなどほぼ現存していないくらいのもので、5年前のオートバイが旧車という感覚なのだ。(1983年のCBX400Fなんて完全に旧車だった)
 毎年のようにニューモデルをリリースしているような、イカレた時代だったのだ。
 ただし、そんな時代でもマッハは伝説化していて、稀に見かけることが出来れば羨望の眼差しを向けられるオートバイだった。
 実際、パワーバンドに入ったときの加速はキチガイじみていて、初期のエグリタンクの500SSが最も凶暴だと言われていた。
 3速までウィリーするだの、次の信号までに止まれるかだの、危ないオートバイというイメージが強かったが、実際に乗ってみると思った通り危なかった。(笑)
 正直言えば、「よく発売の許可が下りたな」というくらいの出来の悪さと言ってもいい。
 実際、発売当時に何人も死んだため、新たに中型免許制度が出来たというのは本当の話なのだそうだ。
 さて、750RSの登場前に、500SSをスケールアップさせた750SSというモデルが1971年に登場するのと同時に、マッハシリーズには350ccをボアダウンさせた250ccが追加され、250cc、350cc、500cc、750ccと、4つの排気量のファミリーが揃った。
 レインボーラインと称される、新たなタンクのデザインを採用した1971年のマイナーチェンジモデルの中で、唯一テールカウルを装備しなかったのが、500SSの1971年モデル、所謂H1B。
 このモデルに何故か強く心を惹かれ、買うならH1Bと決めていた。
 後日、実際に乗った際の衝撃はとても筆舌に尽くしがたいもので、加速は神がかっていて、実際ストリートのシグナルGPでのスタートダッシュでは負ける気がしないほど速かった。
 ただ、エグリタンク時代のマッハよりは止まるけれど、お世辞にも初期のディスクブレーキの制動能力は効くとは言えない、相変わらず危険な代物で、改造するならまずブレーキ含めた足回りだなとおぼろげに改造計画を立てていた。
 2ストロークトリプルは、他に250SS、350SS、750SS、スズキGT750にも乗ったものの、最も印象に残っているのは500SSのH1Bであり、あのパワーバンドに入ったときの独特のエンジン音は今も耳にすると血が沸き立つかのような、どうしようもない高揚感に包まれてしまう。 
 そして、今となってはそれを手に入れることが叶わないことをいやでも思い知らされてしまう。

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