やはり出会うべくして出会う
長く珈琲屋をやっていると、色々な人と出会う。
多分、普通に会社員をやっていたら、きっと出会うことのなかった人たちだ。
つい先日も、ハイティーンの頃に『こんなコが実在したらいいのに…』と、さんざん夢想してきた理想像を、そのまま具現化したかのような若い娘さんが店にやってきた。
想像してきた通りの趣味嗜好(オールドのライカを取り出したところで予感は的中)で、好きな車は90年代までのスポーツカーで、ポルシェ911が一番好きだという発言に、テンションも爆上がりしたのだった。
今年で50歳になろうとしている自身が、既に時代遅れな古臭いオヤジになっている自覚はあるが、リアルタイムで「それ」を知っていて、実際にそれを体験してきたことが、若い彼ら彼女らにとってはおとぎ話にも似た、憧れの世界そのものであることを知った。
スマートフォンも、インターネットもない。
バブル期の只中で、我々よりも少し年上の1960年代生まれの先輩諸氏はきっといい想いをしていたはずだ。
我々1970年代生まれといえば、じきにその恩恵を享受できるだあろうという淡い期待をどこか抱きつつも、実際には膨大にある時間をただ持て余していただけの、中途半端な存在でしかなかった。
行き場のないフラストレーションは、スピードというスリルに酔いしれることでごまかし続けていたようにも思う。
その最中に大怪我をしたり、時には命を落とす者すらいた。
きっと何もしなければ、そこで終わることはなかったのだけれど、あの時、あの場所で走ることは、彼らには必要だったのだと信じたい。
そして、あの場所に立っていた自身も、そこにいることが必要だったのだと思う。
時は流れ、気が付けば平成も終わって令和となった現在、あの頃には笑って許されていたようなことの殆どが禁忌となり、ひどく息苦しい世の中になったが、世界中を席巻する新型コロナウィルスの猛威に晒されている現実は、あの頃の自分にしてみたら完全なファンタジーだ。
生きづらい世の中も、何とか生き抜いていく。
辛くとも死ぬな。
いずれ、出会うべくして人は出会う。
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