1988年 オン・ザ・ストリート
バイク(CBR250R)を手に入れてからは、これまで見て来た景色が、何もかも違って見えた。
モノクロームな世界が一気に色づいた、という表現が正しいかも知れない。
変な言い方だが、世の中の全ての基準が、バイク乗りか?否か?だけの世界になったような錯覚。
17歳のリアリティーなんてそんなものだ。
学校には真面目に通った。
遅刻も欠席もない。
ただ目立たぬよう、成績優秀、品行方正を心がけた。
学校にバレてしまえば、それまでの苦労が水泡に帰してしまうからだ。(ちなみに、通っていた高校はアルバイトは勿論のこと、自動二輪免許の取得も禁止していた)
知らない世界に足を踏み入れることが増えた。
夜の路上で、地元では目立つ同世代の連中と顔見知りになった。
それまでの同級生たちとは縁のない、新しく出会った者たちだった。
自分のことはあまりしゃべらなかった。
しゃべらなかった、というよりも語るような内容がなかった。
これまで何かに守られている感覚があったのは、地元の見知った場所や人としか対峙してこなかったからだろう。
CBR250Rと共に一度路上に躍り出れば、常に己の判断のみが頼りの、常に危険と隣り合わせで走っている状態になる。
転べばもちろん痛いし、事故を起こせば尚更だ。
不思議と、感覚が研ぎ澄まされていくような気さえしていた。
実際、その性格も気性も、研ぎ澄まされていった。
真面目に高校2年生をやっている「日常」と、夜の路上に躍り出る「非日常」。
これからどこへ向かうのだろうかという不安と、生き方も目標も定まらない日々に苛立つ、不安定な精神状態のまま、自身に寄り添うバイクだけを頼りに、スピードに魅せられて溺れていった。
出会ったキッカケなんて所詮は偶然の産物に過ぎないのだが、そこで出会った同年代の少年たちは、誰も彼もが似たような精神状態だったに違いない。
俺の方が速い、俺の方が強い、俺の方がイカしている!
大切なものなど、そのくらいのものだった。
全員が駆け出し、全員が半人前、全員が大人ぶった子供だった。
煙草も酒も、ほぼ100%が嗜んでいた。
時代も緩かったから、未成年者の飲酒や喫煙にも、今では考えられないほど寛容だったようにも思う。
ジッポーライターの炎、ショートホープの紫煙、缶コーヒー片手に朝まで己の夢を語りあう日々・・・。
そこで出会ったのが、5歳年上の一人のバイク乗りだった。
これまで出会ったバイク乗りの中で、一番速かった。
RZ250R(350ccにエンジンを換装してあった)を駆る、彼の後ろ姿ばかりを必死に追いかけていたような気がする。
目の前の彼の存在が、自身の目標になっていた。
いつか自分も、彼のように速くなれるだろうか?
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| このカラーにだけは特別な印象があった |
丁度その頃、第三京浜の保土ヶ谷PAの売店付近に、土曜日の夜になるとバイク乗りが続々と集まるようになった。
それを見に行こうと、二人で保土ヶ谷PAへ向かった。
自分たちよりひと回りほど年長者のバイク乗りが多く、車種も最新のリッターバイクから古めかしいヴィンテージバイクまでと多彩だった。
そこに集まってから保土ヶ谷バイパスを抜けて横浜新道へと向かい、国道1号線を通って西湘バイパス経由で箱根方面に上がっていく連中もいれば、そのまま横浜横須賀道路へ流れる連中もいる。
見せびらかすというより、これから走りに行く前の集合地点といった様相があった当時の第三京浜保土ヶ谷PAの雰囲気は、17歳の自分にとって見たことのない大人の世界だった。
80年代バイクブームの終焉期、時速200km/h以上のスピードへの憧れと、サーキットではなく公道における最速の称号に、誰もが魅了されているように感じた。
覚えているのは、一緒に走ったこと。
常に自分を気にかけてもらっていたこと。
ハッタリでも格好つけることが大事だと、何度も聞かされた。
粗暴で、喧嘩っ早くて、粋がっていた彼に、魅了された。
不躾に呼び出されることも、そんなに嫌じゃなかった。
日々、一緒に過ごす時間が増えるたび、彼との距離が近づいていくようだった。
これまでの坊や扱いが、徐々に払拭されようとしていた1989年の冬、唐突に彼は死んだ。

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